ソ連崩壊という歴史の審判が下って、マルクス思想そのものも瓦解したのだと受けとめる人が多い。しかし、実態をよく観察するとどうだろうか。自分自身の思想喪失を「ソ連崩壊=マルクス崩壊」に仮託しているだけではないのか。かつての権威主義の時期と同様、あいかわらずインディペンデントに思想を構えることを避けているだけではないのか。少なくとも、そう疑ってみる価値もあるように思える。
21世紀の現実を前にして、今こそ思想の根本性が問われているのである。マルクス再読は、20世紀の社会主義運動にあたかも何も起こらなかったかのようにマルクスを読み続けることではない。まったく正反対なのだ。「マルクス主義」が、現実に対する思想の通路であるどころか、障害物、抑圧力に転化したという現実を踏まえて、〈もう一度〉オリジナル・マルクスへと目を向け直す挑戦なのであり、また、マルクスを21世紀の地平へと超え直す挑戦なのである。マルクス再読は自己目的ではない。現実に対する我々自身の思想の通路をラディカルに再敷設するための「方法」なのである。
本書『マルクスと哲学』は著者のマルクス研究の集大成であり、大冊となった。まず第1章では、「哲学」に対するマルクスの関係を根本的に問い直し、1840年代半ば以降、マルクスが哲学の外部にポジションを取り続けた意味の核心を問い直している。第2章、第3章は、マルクス意識論の端初規定の抽出・確定からやり直す試みであり、そのうえで言語論、認識論、イデオロギー論、解放論的構想力論へと展開している。第4章から第8章までは、マルクス唯物論のほぼ全面的な見直し作業であって、フェティシズム論などに即し、マルクスの唯物論が本質的に唯物論批判でもあることを明らかにしている。第9章は、マルクス国家論の端初規定の再確立作業であって、グラムシや現代の国家論へとマルクスを結びつける通路を敷設しようとしている。そして二つの補論では、エンゲルスがマルクスの死後に「哲学の根本問題」を導入した経緯を(おそらく世界でもはじめて)批判的に追跡し、また「国家哲学でもある党哲学」の生態を旧東ドイツのある哲学者の自己批判的告白を通して追跡したものである。
著者は、10年前に『マルクスとアソシエーション』(新泉社、1994年)を上梓し、アソシエーション論をキー概念に「マルクス像の変革」を呼びかけた。また、マルクスのアソシエーション論を現代の社会変革論の地平へと超えるための協働作業をさまざまな研究・実践領域の方々と行い、『アソシエーション革命へ』(社会評論社、2003年)を刊行している。今回の『マルクスと哲学』は、マルクス思想の裾野にさらに広く、深く立ち入って、いわゆる「マルクス主義哲学」との境界線を全面的に引き直し、我々自身の思想の21世紀的再建にとってのマルクス再読の意義を語ろうとするものである。(2004年5月 田畑 稔)
◎目次より
第1章[哲学]哲学に対するマルクスの関係
第2章[意識]マルクス意識論の端初規定
第3章[構想力]解放論的構想力と実在的可能性
第4章[唯物論]「哲学の〈外への〉転回」の途上で
第5章[移行1]唯物論へのマルクスの移行
第6章[移行2]パリ期マルクスと仏英の唯物論的共産主義
第7章[批判]マルクスと「批判的唯物論的社会主義」
第8章[物件化]唯物論批判の論理と「物件化」
第9章[国家]マルクス国家論の端初規定
補論1[エンゲルス]エンゲルスによる「哲学の根本問題」導入の経緯
補論2[国家哲学]東ドイツ哲学の歴史的検証
付録 カール・マルクス略年譜