2004.08.17.up


《解剖診断・五つの視点》
1
脳とコンピュータを同一視する
人間機械論的発想の危うさ

2
言語本質論を欠いた
怪しげな養老式言語論

3
方法としての還元論と科学観は
どこに帰結するか

4
唯脳論・唯幻論・唯物論を
めぐって

5
なぜ、小泉首相や石原都知事と
通底するのか

●養老教授は、どの著作においても、旺盛に言語を論じている。その言語観は、平凡な脳生理学的解釈である。脳内の信号の運動を牽強付会に「交換」と見なし、それが言語を支える脳内での交換だとし、さらに言語自身が人びとの間で交換されるものだとする。すべてこうした思いつきの発想とアナロジーで書き散らしたものこそ、養老式言語論である。

●養老教授は、脳科学の進展とコンピュータの登場に便乗して、心理学や認識論を含めた精神科学の遺産をうち捨てて、現代版人間機械論を復活させた。それに基づく社会認識はきわめて全体主義的である。犯罪者の脳を調べ、そのデータに基づいて若者を脳のタイプに分けて教育せよと語る。その過激なばかりの社会防衛論は、学者の脳天気などと言っておられない危険性を孕んでいる。

●言語をめぐる脳生理学的解釈、還元論的思考、奇天烈な自然観や科学観は何をもたらすか。小泉首相ばりのそのワンフレーズ言説は、現代日本の社会意識をおおう内向性、退嬰性、無力感などに警鐘を打ち鳴らすべき思想の課題に資するどころか、それを合理化し、より昂進させるものでしかない。

しばざき・りつ
著書に『心から言葉へ―現代言語学への挑戦』(論創社)、『知恵おくれと自閉』(社会評論社)など。

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