>>>うかいきよし

1951年生まれ。早稲田大学卒業。出版社勤務を経て、パピルスあいを設立。昨年、社会評論社より刊行した『山崎豊子問題小説の研究』で話題をよぶ。近く、新人物往来社より『土方歳三の遺言状』を上梓。『酔虎伝説』は社会評論社刊。10月4日配本予定。四六判並製。予価1400円+税

■それは〈沖縄〉からはじまった
 
『酔虎伝説 タイガース・アプレゲール』執筆にあたって

鵜飼 清    

・松木謙治郎

・沖縄を訪ねる著者

 

 大阪タイガースの創立時に、松木謙治郎は巨人の沢村栄治投手と対決できる夢を抱いて入団した。それから松木と沢村の名勝負が始まる。松木さんは、タイガースのトップバッターとして首位打者に輝き、昭和15、16年には監督になった。
 日本は戦争一色の時代になり、野球の選手たちも戦地に送り出されて行った。沢村は帰らぬ人となり、松木さんは沖縄戦で九死に一生を得て復員した。松木さんが一等兵として従軍した沖縄戦での体験は、凄惨な地獄絵として記録し残された。

 戦後のプロ野球2リーグ分裂後に、弱体化したタイガースの監督として就任した松木さんは、再建のために尽力し、タイガース中興の祖と呼ばれた。やがて村山実という不世出の名投手が生まれ、村山×長嶋、江夏×王という対決が繰り広げられる。ON全盛期にタイガースは捨て身の闘いを挑んでいった。昭和26年(1951)生まれのぼくが、野球を知り村山の熱投を見たのは、巨人V9のころだった。

 60年代から70年代は、ベトナム戦争や沖縄返還がマスコミの話題になっていた。ぼくが沖縄問題に関心をもつようになったのは、新里金福という沖縄出身の評論家との出会いからだった。新里さんの「沖縄」は、ぼくらが作った出版社で最初に刊行した、渡辺憲央さんの『逃げる兵』という沖縄戦記につながれていった。渡辺さんは戦前「ベースボールニュース」の専属カメラマンで、ぼくが松木さんを意識するきっかけをつくってくれた人物ともなったのである。

 本郷にある出版社から、浅草の「染太郎」というお好み焼きやさんへ通ううちに、一人の脚本家に出会った。灘千造という無頼の人物である。灘さんは内田吐夢監督の『たそがれ酒場』という映画の脚本を書いていた。そこに登場する元絵描きの男には、戦時中に描いた戦意昂揚の絵が残滓としてあった。二度と絵筆をとるまいと決めた男の弧愁が、敗戦後すぐの酒場に陰影をつくっている。

 炊事兵だった松木さんは、戦場でも水筒に酒を入れて飲んでいた。松木さんを死から守ったのは、酒豪であった剛毅さによるものでもあった。
 「酔虎」とは、おのれの信念を曲げずに、ひたむきに生きる姿を言う。分断され疎外された現代には、「酔虎」の群像が求められている。それをぼくは追いかけてみたい。きっとそこには、失われて久しい、「気概」が漂っているであろう。

 少年時代に草野球に夢中で、テレビ中継のプロ野球が好きだったぼくが、東京から沖縄を感じ、戦争を知った。2003年宜野湾でキャンプをしたタイガースは、松木さんの明大後輩である星野仙一監督に引き継がれている。ぼくが知る松木謙治郎は、「タイガースの魂」として存在しているのだ。宜野湾のグラウンドに、いまは亡き松木さんは足を向けたであろう。ぼくの『フィールド・オブ・ドリームス』はそこから始まった。

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