NR出版会連載企画 NR版元代表インタビュー2
メディア本来の異議申し立ての姿勢を貫く
インパクト出版会(深田
卓氏)
雑誌『インパクション』の創刊は一九七九年七月、今年で三四年目になります。沖縄、差別、ジェンダー、天皇制などの問題と社会運動を常に取り上げ、80年代の運動のバイブルだったと聞いたことがあります。今回はその取り組みの中でも特に「死刑」の問題についてお聞きしたいと思います。
──深田さんはどうして死刑の問題に取り組んでこられたのですか?
一九七〇年代当初は死刑を問題にした運動はほとんどなかったんです。『インパクション』で取り上げたのは、一九八六年五月の41号の特集「死刑囚は訴える」で、死刑囚による死刑廃止運動を担う日本死刑囚会議=麦の会の編集でした。そのとき初めて東京拘置所で何人もの死刑囚と会ったんです。誰もが死刑囚というイメージに絡めとられていて、生身の死刑囚を見ていない。それは映画なんかでもそうだけど、生まれついての悪人みたいなのが死刑囚になっていると思われている。会ってみたら全然そんなことはない。普通の人が何かの過ちで死刑囚になってしまった。あるいは本当に冤罪で死刑囚になっている。またはいくつかの罪を背負わされていて、その中に部分的に冤罪のものも含まれている人もいる。一人殺すと、自分はとんでもないことをしたと、取り調べなどでほかの罪まで背負って有期刑ではなく死刑囚になってしまうということがある。そういう人たちと会ったり、処刑された遺体を眼にしたり、手紙のやりとりをしているうちに抜けられなくなってしまった。
──インパクトは最初、運動から始まったんですか、出版から始まったんですか?
シングルイシューの運動をどう結びつけていくか、というのがそもそもの『インパクション』の始まりなんですよ。だから、最初は出版でやれることをやっていこうと思っていて、運動の主体にならないようにしていた。死刑の運動に本格的に関わるようになったのは木村修治さんという死刑囚と出会ってからですね。名古屋の女子大生誘拐殺人事件の被告なんだけれど、その人の本(『本当の自分を生きたい』木村修治著、一九九五年)を作るときに会いに行ったが、確定死刑囚だから会えないんです。それで、出版目的の接見の妨害に対して共同原告になって国家賠償請求を行なうということをしていたら、ますます抜けられなくなった。
──フォーラム90でも活動されていますよね。フォーラムってどんな組織なんですか?
正式名称は「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム'90」で、一九九〇年に日比谷公会堂で一四〇〇人が集まる集会から発足しました。前年八九年には国連の死刑廃止条約が成立したんだけど、日本はそれを批准しなかった(二〇一三年現在も批准していない)。その批准を求める運動が出発点で、日本の死刑廃止を目指しています。
──私、韓国が15年も死刑を執行していない、事実上廃止していることをインパクトの本で知りました(『死刑を止めた国・韓国』朴秉植著、二〇一三年)。フランスではどうやって廃止されたのかも。
韓国は、この本の著者の朴さんが日本に留学した頃はまだ死刑廃止の議論も運動もなかったのに、今や日本は追い越されてしまいました。フランスでは、死刑存続派が大多数でしたが、ミッテラン政権下で廃止され、その後の調査では死刑反対派が多数になりました。
──今年は広島の鞆の津ミュージアムで「極限芸術―死刑囚の表現」が開催されるなど、死刑囚の絵画展の機会が増えているんですね。
死刑廃止問題の取り上げられ方は、一過性の“覗き見”的なところがあります。だから、注目を集められるようなイベントなどを連続的に仕掛けて死刑囚を身近に感じ、考えてもらうしかないと思っています。渋谷で開催したときは、たくさんの若者が来て、Twitter
で感じて考えたことを発信していました。
いわゆる凶悪犯罪はここ十数年減っているにもかかわらず、死刑判決は増えています。日本が経済的に破綻に向かうにしたがって、死刑という厳罰化によって国家が権力を誇示しなければならなくなる。その結果、死刑判決と執行の増加が進行しています。
──すみません、死刑の話ばかりになってしまいましたが、インパクトのテーマはもちろんそればかりではありません。今後、雑誌と書籍をどう展開されていく予定ですか。
身体がもてば、雑誌は年六点、書籍は年一二点は出そうと思ってます。メディア本来のもつ異議申し立ての姿勢をあくまでも貫きたいと思っています。
NRの事務所はインパクト出版会に併設されています。死刑の執行があると深田さんの身辺はにわかに騒然とします。日本の社会の底に現在までずっと死刑が残っていることが、実は私たちの人権の考え方に深く影を落としているのではないでしょうか。(事務局・小泉)
(「NR出版会新刊重版情報」2013年11月号掲載)