2013.12.17 up 



NR出版会連載企画 NR版元代表インタビュー3
本の力に、いまでも夢を持っている
新幹社(高二三氏)


 新幹社の創業は一九八七年。創業者の高二三さんは韓国済州島出身の両親のもと一九五一年に東京で生まれ、大学卒業後、雑誌『季刊三千里』の編集部に入りました。出版社を起こしてからも、出版活動を通して、在日韓国・朝鮮人をめぐるさまざまな問題や、済州島四・三事件の真相究明運動などに一貫して取り組んできました。


──新幹社という社名の由来を教えてください。

 一つは、一九二九年の光州抗日学生運動を指導した「新幹会」にちなんでいます。「新幹会」の幹の字は、初めは「韓」だったのですが、それが当時の朝鮮総督府に許可されず「幹」の字になっています。社会主義者と民族主義者の統一戦線で、反日・反帝国主義がスローガンでした。二つには、幹がバッサリと切られたあとも伸びてくる“ひこばえ”のように、新しい幹を出していく生命の継承という意味があります。

──雑誌『季刊三千里』を辞めたのはどのような経緯があったのですか?

 いろいろな事情がありますが、きっかけは読者からの投稿で、若い在日三世が指紋押捺を拒否した理由に「日本人と同じでなくては嫌だ」という意見があったんです。在日一世の編集委員にはこれが受け入れられなかった。『三千里』に掲載するなら「民族的な理由でなくてはダメだ」と。僕は「在日二世、三世はもうそういう状況に進んでいることを受け入れなくてはならない」と議論になりました。
 『季刊三千里』を辞めたあと、一年ほど明石書店にいて、朝鮮人強制連行や、指紋押捺拒否問題の出版のスタートにかかわりました。ただ、指紋押捺拒否にしても、当時の運動は当事者を前面に立たせて闘ってきました。日本人が葬ってしまった記憶のために、なぜ当事者たちがその役割を生きねばならないのか。日本人がやらねば、運動をともにして、そういうことを感じながら出版をやってきました。

──独立して最初の本が『指紋制度撤廃への論理』だったのですね。

 動く出版社をめざしたので、直接集会に持って行って売りました。そのあと『アジア・女・民衆』『キム・ミンギ』『韓国の学校から』『済州島略史』と続きます。『済州島四・三事件』(全七巻)は、韓国では二〇〇三年に真相調査報告書が出たのですが、日本ではまだ完結していません。韓国に行って著者たちに会うたびに原稿の催促をしているのですが……。

──作った本を子どものように大切に思っているのですね。

 名前を付けたり、どんな服を着せるか考えたりしますからね。新幹社で出した子ども(本)は、これまでに二〇〇点を越えます。小さな出版社ですが新幹社から本を出した著者は、その後大学の教授になったり、小さくても賞を受賞したり、羽ばたいています。新幹社でまいた種が、ほかの大手の出版社で芽が出ることもありますけどね(笑)。

── 一九九〇年には雑誌『ほるもん文化』を創刊されています。

 在日コリアンがオリジナルで生み出した文化であるホルモン焼きから名付けて、在日一世主体の『季刊三千里』などとは異なる二世独自の雑誌を目指しました。大切にしたのは、著名な書き手の発表の場にしないということ。安易な翻訳を載せず、ヘタでもいいから「在日」の手になる文章を重視しました。ですから、巻頭からの原稿の順を「思いの強さ」で並べることになりました。どんなに有名でも、学者やもの書きの文章には熱がないこともありますから。一〇年間で九号まで出て現在は休刊していますが、また機会があれば在日三世が自分たちの思いを燃焼させる場が作れたらいいと思っています。

──高さんにとって出版とは何でしょうか。

 僕のいまの生き方や価値観は学校教育によって形成されたものではなく、手を伸ばせば届くところにあった本によってつくられたものです。そのときの本の力というものに、いまでも夢を持っているところがあります。最近では電車でも多くの人がコンピュータ電話をいじっていて、自分で考える時間やお金を失っています。そういう時間やお金を、もっと本に使ってほしいと思いますね。


1998 年から15 年間NR に加盟していた新幹社は、今年11 月をもって一時休会します。高さんにはNR のためにさまざまなアイディアをもらいました。これからも互いを励まし合える距離で、関係を続けていけたらと思います。またご夫妻で経営している、四谷の韓国料理新古房(しんこばん)のお店にも遊びに行きます。(事務局・小泉)

(「NR出版会新刊重版情報」2013年12月号掲載)

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