NR出版会連載企画 NR版元代表インタビュー8
脱原発運動の礎を築いた「市民出版」
七つ森書館(代表 中里英章氏)
一九八五年創業の七つ森書館は今年二九年目を迎えます。代表作である『高木仁三郎著作集』をはじめ、創業当初から取り組んできたにわかではない脱原発書籍の数々、社会問題やノンフィクションのシリーズ、有機農業と食、健康の分野から、最近では映画、音楽まで広がってきた出版活動ですが、今回はその成立と出版理念である市民出版についてうかがいました。
――大学時代の高木仁三郎氏との出会いから創業までの経緯を教えてください。
一九六九年に東京都立大学の理学部化学科に入学し、七月に赴任してきた高木仁三郎さんと出会いました。当時三一歳の助教授だった高木さんは新入生の兄貴分という感じで、次第に彼の研究室に出入りというか、たむろするようになりました。七一年は成田空港の反対運動が盛り上がり、第一次・第二次強制代執行が行われた年でした。その運動に、私は学生として、高木さんは職員反戦の一員として関わりました。
西ドイツから帰ってきた高木さんが、独立した一市民として「市民の科学」をやっていく決意を固めて大学を去り、私自身も「いまさら学問でもあるまい」という気持ちで、七三年に大学を中退しました。三里塚岩山大鉄塔の建設で知り合ったトビ職の方に弟子入りして肉体労働を始め、エレベーターの据え付けやメンテナンスを行う会社を仲間と立ち上げました。高木さんたちは七五年に原子力資料情報室を設立、同僚が労災事故に遭ったのを機に私が会社を廃業した七七年頃、「僕の仕事を手伝わないか」と声を掛けてもらい、それから約二年間アルバイトで携わりました。その後、二社ほどの出版社を経て、一九八五年に七つ森書館を創業しました。最初の本は高木さんの本と決めていて、前田俊彦さんとの対論『森と里の思想――大地に根ざした文化へ』を八六年一〇月に出版しました。二冊目は、高木さんがその年の四月に起こったチェルノブイリ原発事故の経過と全容を究明した『チェルノブイリ――最後の警告』でした。最初は市民運動をしながら、編集プロダクション業務で資金を稼ぎ、年二〜三冊の本を刊行するという体制でした。
――『高木仁三郎著作集』は高木さんが亡くなった翌年、二〇〇一年から刊行が開始されたのですね。
小出版社にとって全集物は短期決戦でなければ完結しえないと思い、二ヵ月に一巻ずつ、二年間で完結する計画でした。けれども半ばで資金が続かず、二〇〇三年には来月には倒産かというところまで追い詰められました。その際、私たちが発行している愛読者向けの小冊子「七つ森通信」に増資のお願いを掲載し、個人的にもお手紙を一〇〇〇通以上書きました。その後も度々直面した危機的状況を何人もの方に助けていただき、二〇〇四年四月に完結しました。
――震災直後、真っ先に『高木仁三郎著作集』が平積みで展開されているのを見ました。二〇一一年の3・11以降をどんなふうに考えておられますか。
3・11以降のことを捉えようとすると、公害や住民運動の枠では捉えきれないくらい巨大で非常に難しい。ただ、原発立地というのは農村社会であり、漁業社会である。ムラの論理で動いている。それを理解しないで傍からものを言えるのか、というと疑問ですね。反対することやデモをやることは簡単です。でも、農民が何を考えているのかがわからないと。
――佐高信さんや鎌田慧さんや、落合恵子さんなどそうそうたる著者との関係を築いておられる一方、いわゆる“学者”やアカデミズムには頼らない姿勢がうかがえます。また、一般には知られていない市井の方を著者にすることもありますね。
現地に行って、会って話をしていればわかるじゃないですか、書けるかどうかは。そういう意味では酪農家の長谷川健一さんの『までいな村、飯舘』(二〇一四年)もありますし、恩田勝亘さんの『原発に子孫の命は売れない』(一九九一年旧版、二〇一一年新装版)はずっと運動に関わっていた方が起こした本としていい本で、事実3・11以降よく読まれています。
――出版と市民運動というのは、中里さんにとってどういう位置付けでしょうか。
若い人にはわからないかもしれないけれど、かつては「生きることと運動することが限りなく一つになる地平を求めたい」という言い方や「自己否定」というものがあったんです。一つにはならないかもしれないけど、ならないという前提じゃあ何も生まれない。
――市民出版とは。
市民出版とは、(1)権力や権威から独立していること、(2)安全で安心できる暮らしの本、(3)人間の顔をした出版社であること、と考えています。「こういう問題」に「こういう考え」がある、よりよく生きていくためにはどうするか、という提案なのです。こうして市民、読者の方々に支えられているからこそ、このような出版を継続できるのだと思っています。
運動に携わり、職人として働きながら田んぼを耕し、尊敬する恩師の仕事を手伝って、最終的には自分で会社を立ち上げる。「上の世代は何度でもやり直せたんですよ。何しても食えたし、就職しようと思ったら正規雇用だってあった。いまの時代の方が大変だと思います」と中里さんは仰るのですが、そんな時代や生き方があったのだなぁと思いました。(事務局・小泉)
(「NR出版会新刊重版情報」2014年8月号掲載)