■ いま、全世界的な規模で分権・連合・協同社会への胎動が始まっている。それは、まだ定かな組織形態をとって実体化されているとはいえないが、そこへ向かっての動きが、斑状にではあるけれども、多様な形で始まっているのを見ることができる。
■ 資本も労働も国境を越えてボーダレス化し、一方においては多国籍企業への上昇、他方においてはベンチャー・エンタプライズへの下降という両様の形で企業形態が変化して、これもボーダレス化し、これまでのように国民経済という形で国民国家レベルで経済を統括していくことがあまり意味をもたなくなりつつある。そして、それより大きな規模でのユニットとともに、より小さな規模での集約がより現実的なものとなってきている。
■ 社会単位が連合し、協同の関係を形成していく、ボランタリー・アソシエーションの連合という動きもさまざまな形で出てきている。だが、その中から創り出されていく分権・連合・協同社会のイメージは、まだいまひとつ明確ではない。近代の終焉だとか、ポストモダンだとか、いろいろといわれながら、像が結ばない。確かに、プルードンの「連合の原理」、クロポトキンの「相互扶助の原理」、あるいはマルクスの「連合した生産者の社会」などは、原理としてはそれぞれ魅力的で説得力があるが、それらが鮮明なイメージを結ばないのは、そのような社会の精神的基盤が語られていないからではないか。
■ その精神的基盤は、近代精神とはちがったものになるにちがいないのである。近代の個人主義、自由主義、平等主義、民主主義、ヒューマニズム、それらの発展として来るべき社会の精神を考えることはできないのだ。だが、近代精神の精華たる「個の自由」を捨て去ることはできないだろう。だとするなら、個の自由の上に、近代精神とは別のどんな精神を培養していくのか。ランダウアーは、この問題に答えようとしたのだ。〈大窪一志/訳者解説より〉