NR出版会40周年記念連載 書店の店頭から7
フェアの発想力〈下〉
田中茂さん(島森書店大船店/神奈川県鎌倉市)
先月号に引き続き、島森書店大船店・田中店長のお話です。同店では、今年二月から六月まで「個性派中堅出版社・小出版社 わが社の選りすぐり本」フェアを月替わりで開催、NR加盟社・元加盟社数社も参加します。店長からいただいた企画趣意書には、「不況が長びき、本の売れゆきも年々落ちてゆくばかりで回復の兆しがなく、書店の販売も低下の一途をたどるばかりできびしさは増すばかりです。……そこで世の中を逆に見ることにして、売れない出版社の本ばかりを集めてみたら案外注目されるのではないだろうかと考えました(売れない、ということばに気を悪くなさらないで下さい)」とありました。田中店長が考える「フェアの極意」に迫ります。
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─ところで、正直申し上げてあのフェア台は決して広くないと思うんですね。
田中 狭いですね。
─それなのに、ちょっと信じられないくらい高い売り上げを毎回維持されているという……。
田中 最初から売上目標を立てていたわけではなくて、何度かやっているうちにわかってきたわけです。うまくいくときも、うまくいかないときも当然ありますが。ただ、三年前に大船駅の北口ができる前はサラリーマンもたくさん来店していましたが、今の客層はお近くのおじさまばかりになってしまいました。
─とすると、店から徒歩圏内にお住まいで、日課のように来店される常連客に支えられ、これだけの売り上げを保っているフェアだと。帰宅途中に雑誌を立ち読みするだけなら別の店でもいいやっていうお客は、北口の駅ナカ書店に持って行かれたかもしれないですけど、駅の反対側からでもわざわざこのお店に来ることが生き甲斐のひとつだというお客さんが確実にいらっしゃることを実感します。
田中 そういうお客さんがいてくれるといいんですけれども、実際にはなかなか確認できませんよね。
─書店独自企画のフェアは、少し前まではある程度、当たり前にやっていた部分もあったと思うんですよね。田中店長がおやりになっているレベルにはとうてい到達しないものであっても、出版社お仕着せのセットフェアはなるべくやらずに、少なくとも書店側で選書して、自分たちの発想で店の客層に合った形のフェアを提案する。それが、今は本当に少なくなってきている感じがします。
田中 そうですね、「こういうフェアをやるので」と出版社さんに出荷依頼すると、「そういえば、そういうふうに手書きでやってた書店さん、私も知ってます。でも、その書店さんなくなっちゃったなあ」という話もよく聞くから、ああ、やっているところはあったんだな、ということは知っています。けれども、よその書店を見に行って、偵察して、勉強しようという趣味がないんですよ。自分にやれることはだいたい自分でわかるから、よそを参考にしたからといって今まで以上のことができるとは思えないし。あとは何ができるかって言ったら、自分の発想力で、よそと違ったことをするしかないということですよね。フェアを始めたときはまだ四〇代でしたが、六〇歳まで働くとしたら、今のうちに自分にできること、他の人にはできなくて自分だけにできることは何だろうと。
─早川義夫さん(著書に『ぼくは本屋のおやじさん』晶文社ほか)がかつて川崎でおやりになっていた早川書店の冊子「季刊読書手帖」はお持ちなんですよね。
田中 店には一度も行っていません。当時、ウチの店に勤めていた人が川崎に住んでいたんですが、近くにあの店があったらしいんです。それで、「こういう店があるよ」と教えてくれましてね。関心を示したら、「じゃあ、今度もらってきてあげますよ」って言ってくれたんです。創刊号から八号まで、それを今でもまだ大切に。その人が辞めたあとの号はどうなっているのか知らないです。早川さんご本人もあんなに全国的に注目されるとは思ってなかったんじゃないかなあ。どういう店だったんでしょうね。
─そもそも、田中店長が書店員を志したきっかけを教えていただけますか。
田中 たまたま募集していたのが本屋だったから。本屋は好きだったけれども、働きたいとはゆめゆめ思ったことはなかった。でも、そういう書店に流れついたような人って結構いますよね。
─美術館巡りや古書店巡りがご趣味だったそうですね。それが今では、すべての情熱をフェアとカタログ作りに。
田中 フェアを始めたのは、もう美術館巡りも古本屋にも行かなくなった頃ですね。しかし、多くの書店員は、日々の仕事をこなすだけで精いっぱいなんだと思います。フェアやカタログ作りなんて、なかなかできないですよ。やりたいと思ってもできない気持ち、わかります。ぼくの場合は自由にやらせてもらえるから、「売れない出版社のフェアをやる」などということも考えられるわけです。
─「売れない出版社」の話が出たので、ぜひお聞きしたかったのは、大手や中堅の出版社の本でも、普段、店頭で見かけない本は膨大にあるわけで、書店独自企画のフェアをやるというときは、中堅どころまでで選書を止めると思うんですよね、多くの書店員は。そこを超えて、これまでのフェアの選書でも小零細出版社の本を必ず混ぜるという、こういう発想はどのあたりから出てきているんでしょうか。ふつうは敬遠すると思うんですが。
田中 今までの経験から言うと、フェアはそのテーマにそってお客さんが見に来るわけですから、出版社を見るわけではないんですよ。そうすると、意外なことに売れ行きに大手とか零細とかは関係ないんですよ。だから、一冊だけ仕入れた零細版元の五千円の本でも売れるときは売れるわけで、同じような本でも大手だから売れるとは限らないわけです。ということはやはり、いろいろな本を入れたほうが面白いし、結局は零細で普段全然棚に置かないものが売れたりする場合のほうが多いということに気がつくわけですね。そうすると、じゃあ次は売れない出版社ばかりのフェアをやってしまえと。
─田中店長はこれまで、「独創性のないフェア」や「想像力のふくらみが不足したフェア」はやらないと、『新文化』紙上での連載(二〇〇六年一二月/二〇〇七年九〜一〇月)などでおっしゃられていました。だけど、今回の「売れない出版社フェア」は出版社側が選書するということで、本当に大丈夫でしょうか。最初から「売れない」と烙印が押されているのは、ある意味気が楽ではあるんですが、本当に売れなかったらどうしよう、売れないと言っても限度があるだろうと。ちょっと恐ろしいですね。
田中 たまには万年補欠の選手ばかりを起用して試合に臨むのも、相手の意表を突いて面白かろう、といったところでしょうか(笑)。成績はともかく、面白い試合になるのではないかと。
─書店さんというのは、田中店長のようにちょっとクセのある方がいて成り立つ部分があったと思うんですよね。
田中 今、死滅しつつある……。
─本当に絶滅危惧種だと思うんですよね。かつては「本屋のオヤジ」って言ったら、ちょっと気難しいというのが当たり前だったのが。
田中 今は古本屋にしかいないという奴らね(笑)。
─では最後に、田中店長の根底にある熱いものはどこから来ているのかをお聞かせいただけますか。
田中 こういうときに、「本を紹介して、お客様のために、地域のためにやっているんだ」ということを言う人がいますけれども、そういうことは私は言いたくありません。すべて自分のため、悪く言えば自己満足です。それ以外あるでしょうか。それと同時に、六〇歳近くもなると、自分の今までやってきたことの集大成をしたいと思うでしょう。書店員として、何ができるかっていったら、これ(フェアカタログ)じゃないですか。これだったら、人の役にも立ってるし、しかも人に見せて恥ずかしくないだろうし。
─ある意味、出版社よりも書店のほうが自由な発想で創造性を発揮しようと思えばできる場なのではないかな、という気がします。一冊一冊の本を自分なりのコンテクストでまとめるというのは書店の醍醐味、理想だなと思います。
田中 これだけいろいろなフェアをやってきましたので、そろそろ今までの知識はほぼ八割くらいは出してしまった気がします。例えば「世界の言語と文字を楽しもう」。苦手な理系もやったし、歴史物も相当やった。次は「日本人と戦争」、その後は「日本人と死の問題」、それから「西洋と東洋の出会うところ」というのをやってみたいと思っています。それが終わったら、今までやったテーマでもう一度やってみようかと。もしかしたら、その間にまた何か思いつくものがあるかもしれないですしね。
インタビュー:安喜(新泉社)+天摩(事務局)
島森書店大船店に先日おうかがいしたところ、「わが社の選りすぐり本」フェア前では常連風の年配のお客さん数人が本の中身を時間をかけて吟味し、リュックサックを背負った若い方も足をとめていました。目当ての棚に行く前に、フェア台を隅々までチェックするお客さんが何人もいらっしゃいました。「日本人と戦争」フェアも同時開催中です。(事務局・天摩くらら)
(「NR出版会新刊重版情報」2010年4月号掲載)