〓〓〓 クルド人のまちを訪ねて 〓〓〓
「国を持たない民族としては世界最大」といわれるクルド民族。彼らは、アラブ人、ペルシャ人に次ぐ規模の中東の先住民族であり、その居住地域は古くから「クルディスタン(=クルド人の土地)」と称されてきた。
クルディスタンは何世紀もの間、強大な帝国のはざまにありながら、完全な支配下に置かれることはなかった。しかし第一次世界大戦後、その土地が、トルコ、イラン、イラク、シリア、旧ソ連などの国境線で分断されて以来、併合されたそれぞれの国内においてマイノリティーとなったクルド民族は、今日に至るまで、同化政策や差別、そして時に熾烈な迫害に直面し続けてきた。イラン・イラク戦争末期、サダム・フセイン政権が化学兵器を用いて北イラクのクルド人の町を攻撃した際には、一瞬のうちに五千人もの市民が命を奪われた。クルド人たちは、その大量虐殺の記憶から自分たちの土地を「第二のヒロシマ・ナガサキ」と呼ぶ。
1996年、トルコで出会ったクルド人から「私たちは言語をはじめ、独自の文化を何もかも奪われ、民族の存在すら否定されてきた」と説かれたことをきっかけに、私のクルド人を訪ねる旅は始まった。国境地帯の山地に多く見られる、軍隊に焼き払われ廃虚となったクルド人の村々。バスの中からその写真を撮っていると、同乗者の老人が無言のまま握手を求めてきた。「撮った写真を日本の新聞で発表してくれ。こんな目に遭っているのに誰も来てくれない」と訴える人もあった。そしてしばしば「人間らしく扱われること、人間として生きることを望むだけだ」と語られるのを耳にした。武装した反政府組織と政府軍との戦闘に巻き込まれて命を落とした人の家族は、「話を聞きに来てくれてありがとう。私たちのことを知ろうとしてくれてありがとう」と言って、涙ながらに辛い記憶を物語る。美しい土地に暮らし、訪れる者を心尽くしのもてなしで歓迎してくれる心優しい人々の背景には、あまりに厳しい現実があった。
その一方で、あるクルド人青年の言葉も忘れられない。「心の原点は故郷にある。私たちがこの先ずっと暮らし続けるこの土地の美しさや素晴らしさにも、もっと目を向けてくれ。そのことだけを日本に持ち帰り、時々思い出してくれればそれでいい」。彼の言葉は、一方向からしか見られなくなっていた私の視野を広げてくれた。
クルディスタンを抱え込んだ国のみならず、世界の大国にも、都合のいい時だけ引き合いに出され、利用され、必要のない時には無視されてきたクルドの人々。米国がイラク攻撃の準備を進めるさなかで、政治の取引材料として、彼らの存在が再びクローズアップされるようになっている。翻弄され続けてきた彼らの悲惨な歴史が、また繰り返されることのないように、そして人々が心からの笑顔で安心して生活できる世界が訪れるように、私たちにできることはいったい何だろうか。
(2003年1月 松浦範子)
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(紹介)
** クルド民族とクルド人問題を知るNR出版会の本 **
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